天神屋 名前の由来

天神屋は静岡市伝馬町の雛人形のお店から始まっており、当時から使っていた「天神屋」が名前の由来となっています。人形屋が忙しい時に、社内でまかない様に食べていたおむすび、いなり寿司、海苔巻きが好評だったことから、社内だけでなく外のお客さまにも販売し始めたことが今の天神屋の原点になっています。

"ひなまつり"にちなんで…天神屋商号の由来。

子供の"ひいな遊び"に端を発したひな人形は、紙びなとしての立ちびなが原型といわれております。
現在の様に、はなやかなひな段に座ったひな人形になったのは、江戸時代の中頃からといわれます。
ひな人形も、初めは男女一対の親王飾りだけ、後に三人官女、五人囃子、随身、仕丁を飾り添える様になりました。

今から遠く平安のころ(約千年前)、貴族の間で"ひいな遊び"といわれて、紙で作った人形や、身のまわりの道具をまねた小さな玩具を使っての遊びが流行(はや)りました。また、その当時の人々は、子供が病気や災難に合わないように、三月の初めの巳(み)の日に、お祓(はらい)をする習慣が結びついたものが、"ひなまつり"になりました。

ひなまつりが三月三日に祝われるようになったのは、室町時代からのことで、江戸時代に入ると宮廷や武士階級のみでなく、一般庶民の家庭でも女の子の誕生や、すこやかな成長を祝うお節句になりました。

ひなまつりは女の子のお節句としての意味と同時に、暗く寒い冬がおわりをつげて、明るい暖かい春のおとずれをよろこぶ、季節感を楽しむ行事でもあります。
この季節になりますと、天神屋の各売店の店頭に菱餅の販売コーナーが設けられます。コーナーには、桃の花や菜の花が飾られ、道ゆく人に春のおとずれを感じさせます。

また、各地の天神屋の工場では、幕から正月にかけての忙しい時期も終わって、ほっと息をついているのも束の間、二月に入ると、ひなまつりの菱餅、桜餅、お彼岸のぼたもち、明けだんご等、日頃販売する商品だけでなく、これらの商品の製造が加わって、猫の手も借りたい程の、忙しい時期になります。天神屋の工場で作られる商品のほとんどが、その日に作って、その日に売られますので、普段に増して忙しくなるわけです。

一年をとおして忙しいときは、幕から正月にかけて、鏡餅やのし餅、おせち料理等の製造、三月のひなまつり、お彼岸、五月のお節句には柏餅、七月には土用のうなぎ弁当、九月のお彼岸、十一月は七五三の鶴の子餅等々。
天神屋の商品は、日常売店で販売するおむすび、お弁当、お惣菜の他にも、一年中の生活(くらし)にかかわりのある商品が、沢山あります。

日本古来からの"雛祭"は、最も天神屋に関連のある行事です。

そもそも天神屋の商号は、食品販売業として現在の天神屋になる以前、静岡市伝馬町(天神屋伝馬町売店のあった場所)にて、雛人形を商なっていた時の屋号を、そのまま継承しているものです。

静岡地方では、古くから三月三日の雛まつりに、天神様を飾って男の子のお祝いをする習慣がありました。雛人形の中でも、この地方に伝わる"天神様"は、学問の神様として知られる、菅原道真公の姿を雛人形に仕立て上げたものです。

静岡は、全国でも有数のお茶の特産地ですので、八十八夜の五月二日前後は、一年の中でも最高に忙しいシーズンにあたります。
五月五日は端午の節句ですが、どこの家庭も、とても男の子のお祝いをする暇がなかったため、三月三日のひなまつりの時、天神様を飾って男の子のお祝いをする習慣ができたものと伝えられております。また、男の子が誕生すると、その年の初節句のお祝いに、天神様の人形を贈る習慣もありましたが、これらの習慣も、時代と共に段々忘れられつつあります。

静岡の呉服町商店街を北にはずれた、中町の静岡天満宮には、勉学の神様として天神様がまつられ、小、中学生、受験生等がおとずれる風景がみられます。また雛まつりを後にひかえた時期になると、静岡の人形店の店頭には現在も天神様が陳列されますが、売れゆきのせいもあってか、派手な段飾りに比較して、ややひかえめに、比較的奥の方に陳列する店が多くみられます。

明治時代には、天神様を製造販売していた人形店は"伝馬町の天神屋"が一軒しかなかったそうです。初代の天神屋の主人は土天神を造っていましたが、その後、時代の変化とともに、衣装が着せられ、さらに現在の様な立派な人形が完成していったものと思われます。
明治以前には、天神屋の家族の姓はなく、通称『天神屋さん』で呼ばれ、明治維新以後に、以前の社長の姓『望月』を名のる様になりました。明治から大正にかけては、『因(かくだい)天神屋』とも呼ばれ、盆暮れには、出入りの職人さんに、因(かくだい)の紋の入った半てんを配ったそうです。

現在、天神屋は創業66年を迎え、昔の屋号をそのまま引き継ぎ発展を続けています。

PDF:天神屋の由来(357KB)